発達性トラウマ障害

発達性トラウマ障害とは、アメリカのマサチューセッツ州にあるトラウマ・センターの設立者であるベッセル・ヴァン・デア・コーク博士らが提唱した概念です。アメリカ精神医学会が刊行している精神疾患のための診断統計マニュアル(DSM)には、残念ながら採用されていませんが、非常に有用かつ重要なもので、私自身がこれまで出会ってきたクライエントの方々の中にも、この発達性トラウマ障害を背負っておられると思われる方々が、大勢いらっしゃいます。

 

私は、2011年に、ヴァン・デア・コーク博士のいらっしゃるトラウマセンターで、臨床トレーニングを受けさせて頂きました。その際に、発達性トラウマ障害について、また、この障害を負う子ども・大人への治療・セラピーなどについて教えて頂き、単にトラウマを治療するだけでは不十分であり、様々な介入が必要であることを教えて頂きました。

 

発達性トラウマ障害という概念は、ヴァン・デア・コーク博士とロバート・パイヌース博士が主導し、マーチン・タイチャー博士、フランク・パトナム博士など、多くの一流専門家が参加する中で、アメリカの国立子どもトラウマティックストレス・ネットワークの臨床家らが調査を行い、治療センター、病院、福祉入所施設、少年院など、様々な臨床現場で得られた子どもたちのデータを分析し、提起されるに至ったものです。その目的は、慢性的な対人トラウマにさらされた子どもたちの実態を捉え、臨床家らが効果的な介入措置を開発・活用してもらうとともに、研究者にも、子どもたちが示す、対人的暴力の神経生物学的背景と伝達を研究してもらうためでした。なぜなら、継続的な危険にさらされたり、虐待を受けたり、不適切な養育環境の中で育った子どもたちは、現行の診断システムでは、多くの場合、適切な診断が下されなかったり、数多くの診断が下されてしまったり、症状の原因としての対人的なトラウマや安全の欠如が認められることなく、行動のコントロールに重点が置かれたり、症状の根底にある発達上の問題の改善に注意が向けられなかったりすることにつながるからだと、ヴァン・デア・コーク博士は語っています。

 

ヴァン・デア・コーク博士によると、虐待、ネグレクト、不適切な養育環境によって生じる小児期のトラウマから、情動調節、衝動コントロール、注意と認知、解離、対人関係、自己概念などに関して、慢性的で深刻な問題が発生してきます。ですが、これらの問題を包括する適切な診断名が存在していないため、発達性トラウマ障害を負っている方は、精神科医療を受けている間に、通常、併存する障害として、うつ病、パニック障害、双極性障害、境界性パーソナリティ障害、素行障害、反抗挑戦性障害、不安障害、反応性愛着障害、ADHD、PTSD、間欠性爆発性障害、反応性愛着障害、物質使用障害など、3つから8つの様々な診断を受けています。


それは、例えば、絶望感や希死念慮に注目すれば、うつ病に、落ち着きのなさや注意力の問題に注目すれば、ADHDに、トラウマに注目すれば、PTSDに、という具合に、様々な精神疾患の診断基準を満たしてしまうため、多重診断に陥りやすいのです。


さらに、表われてくる症状が年齢と共に変幻自裁に移り変わってくるため、より多くの診断が下されやすくなるのです。ヴァン・デア・コーク博士は、このような診断はどれも的外れではないものの、彼らが患っているものが本当は何であるのかを、有意義な形で説明する端緒さえ掴むことができていない、と指摘しています。


このような実情の中で、複数のレッテルではなく、慢性的なトラウマを抱えた子どもや大人が体験している実情を、正確にとらえた単一の診断名を与え、彼らの示す変幻自在の症状の根底にある中心原理に対して、研究や治療の焦点を当てることができるようにするために考え出されたのが、「発達性トラウマ障害」という概念です。

 

ヴァン・デア・コーク博士とロバート・パイヌース博士が2009年に作成した「発達性トラウマ障害のための、合意に基づいて提案された基準」は次のようになっています。


発達性トラウマ障害のための、合意に基づいて提案された規準

A.       曝露
児童または少年・少女が、小児期または思春期早期に、最低1年にわたって、以下のような逆境的出来事を、複数または長期間、体験または目撃した場合
1.耐えがたいほどの対人暴力を直接受けたか目撃した体験
2.主要な養育者の再三の変更、主要な養育者からの再三の離別、あるいは、過酷で執拗な精神的虐待を受けた結果として生じた保護的養育の重大な妨害

B.       感情的・生理的調整不全
以下のうち最低2つを含む、覚醒の調整に関連した標準的発達能力障害を児童が示す場合
1.持続的で極端な癇癪、または身動きがとれない状態を含めた、極端な感情状態(恐怖、怒り、恥など)を自己調整したり、それに耐えたり、その状態から立ち直ったりする能力の欠如。
2.身体的機能の調整障害(睡眠、摂食、排泄における継続的な障害、触れられることや音に対する過剰または過小な反応性、日常生活で一つの活動から別の活動に移る際の混乱など)
3.感覚・情緒・身体的状態に対する自覚の減少または解離
4.感情や身体的状態を説明する能力の障害

C.       注意と行動の調節不全
以下のうち最低3つを含む、注意の持続・学習・ストレスへの対処に関連した標準的な発達上の能力障害を児童が示す場合
1.脅威に心を奪われること、または、安全の手掛かりや危険の手掛かりの誤解を含む、脅威(危険)を知覚する能力の障害
2.極端な危険行為またはスリル追求を含む、自己防衛能力の障害
3.適応性のない自己慰撫の試み(体を揺り動かすこと(ロッキング)・リズミカルな動き・強迫的な自慰行為など)
4.(意図的または無意識的で)常習的な、または反応的な自傷行為
5.目的志向の行動を開始したり継続したりする能力の欠如

D.       自己の調整不全と対人関係における調整不全
以下のうち最低3つを含む、自己のアイデンティティの感覚と対人関係における標準的な発達上の能力障害を児童が示す場合
1.養育者またはその他の親密な人 (未熟な段階で保護者役を務めることを含む) の安全について極端に気にする、あるいは、離別の後の彼らとの再会に耐えることが困難
2.自己嫌悪、無力感、自分は無価値だという感覚、自分は無能だという感覚、自分には欠陥があるという感覚を含む、継続的な否定的自己感覚
3.大人や同年輩との親密な人間関係における、極端で継続的な不信感、反抗、互恵的な行動の欠如
4.同年輩、養育者、その他の大人に対する、反応的な身体的攻撃または言葉による暴力
5.親密な接触(性的あるいは身体的な親密さに限らず)を得るための不適切な(過剰または不品行な)試み、あるいは安全と安心材料を確保するための、同輩または成人に対する過剰な依存
6.他者の悩みや苦しみの表現に対する共感または寛容性の欠如、あるいは他者の悩みや苦しみに対する過剰な反応性によって裏づけられる、共感的な覚醒を調整する能力の障害

E.        心的外傷後スペクトラム症状
3つのPTSD症状クラスターB、C、およびDの少なくとも二つで最低一つの症状を児童が示す場合
B トラウマのフラッシュバックや悪夢などによる再体験
C トラウマとなった状況や、それを連想させる刺激を回避する行動パターン
D トラウマ後に生じた過覚醒による不眠やキレやすさ、過剰な警戒心など

F.        障害の期間
発達性トラウマ障害規準B、C、DおよびEの症状の持続期間が最低でも6ヶ月

G.       機能障害
この障害により、以下の機能分野のうち最低2つで、臨床的に重大な問題あるいは障害が引き起こされている
・学業:成績不振、不登校、規律上の問題、中退、学位や資格を得られない、学校関係者との衝突、学習障害あるいは神経学その他の原因では説明できない知的傷害
・家庭:確執、回避・受動的、家出、孤立、身代わりをとっかえひっかえ、家族を身体的または精神的に傷つけようとする、家族内でだれも責任を取らない
・同年輩集団:孤立、逸脱した所属、持続的な身体的または感情的対立、回避・受動的、暴力的または危険な行為への関与、年齢不相応な所属または交流スタイル
・法律:逮捕・再犯、拘留、有罪判決、投獄、保護観察またはその他の裁判所命令に対する違反、ますます十毒化する犯罪行為、他者に対する犯罪、法律または一般常識的な道徳基準の無視または軽蔑
・健康:消化器系、神経系(転換症状や無痛覚を含む)、性的、免疫系、心肺の、固有受容系、感覚系、または重度の頭痛(片頭痛を含む)を含む、身体的傷害や変性を十分に説明できない身体的疾患または問題、慢性的な痛みや疲労
・職業(雇用、ボランティア活動、職業訓練に携わっている、それを求めている、あるいは紹介されている若者の場合):仕事・職業への無関心、仕事に就くことまたは継続することが困難、同僚または上司との持続的な対立、本来の能力に満たない仕事に従事、期待できる昇進を達成できない

上記の発達性トラウマ障害のための基準にあるように、発達性トラウマ障害では、注意力、情動調整、衝動コントロール、対人面、認知面など、広範にわたる影響が見られ、トラウマ性疾患であるPTSDとは異なる様相を呈しています。実際に、トラウマを受け、アメリカの国立子どもトラウマティックストレス・ネットワークで治療を受けてきた子どもの82%は、PTSDの診断基準を満たさなかったという調査結果が出ています。このように、子どもの発達中の心や脳にトラウマが与える影響は、十分に成長した大人のストレス性トラウマとは根本的に異なっているため、未処理のトラウマを治療するだけでは不十分なのです。

 

トラウマセンターでのトレーニングを受けていた際に、発達性トラウマ障害を含め、様々な困難を抱える子どもたちのための入所型治療施設である、アメリカのマサチューセッツ州にある、ヴァン・デア・コーク・センター・グレイヘイブン・アカデミー(The van der Kolk Center Glenhaven Academy)への施設見学もさせて頂きました。そこでは、トラウマを扱うだけでは不十分である子どもたちのために、注意力、情動調整、身体とのつながりを取り戻すこと、安定した愛着パターンの再形成、そして今を生きる力などを含めて、非常に多岐にわたる様々な取り組みが、包括的な治療プログラムとして行われており、私自身も大変多くのことを学ばせて頂きました。

発達性トラウマ障害からの回復

 

カウンセリングルーム育てあいでは、発達性トラウマ障害に有効な様々な心理療法を用いて、トラウマだけではなく、安定した愛着パターンの再形成、自己調整力、衝動コントロール、注意力、身体とのつながりの再構築なども、併せて取り組んでいきます。クライエントの方々が、厳しい環境に適応していく中で、他者を脅威として、また自分自身を無力な存在として体験するように配線されてしまった脳を配線し直し、自分自身とも、また他者とも、安心してつながりなおせるようにサポートしていきます。

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